2012年7月17日火曜日

「あ、そこは2周目から別の選択肢が出現するから、先にBAD ENDをクリアしといてね」

どうも串カツです。
流しそうめん、楽しみです。
さて、さすがにこれだけだとアレなので、いつもの調子でなんか語りましょう。覚悟して読み飛ばしてください。

俺は抽象化(一般化)と効率化、合理性が好きです。愛していると言っても過言なほどです。 ←
というより具体化と非効率と非合理的な事を憎んでいます。
抽象化とは物事の本質を把握することです。本質とは、様々なものごとをグループ化して共通点を抜きだしても、消えることのない特徴、アイデンティティです。
本質を考えることで、大抵の問題は単純化されます。
単純、というかシンプルなものは美しい。そして問題解決は非常に効率的になる。
数学においての公式などは、その典型例でしょう。
よって俺は抽象化、抽象的なことが大好きです。

効率化、こっちはもっと単純な理由です。
効率が悪いということは、時間とエネルギー(労力)の損失が大きくなるということ。誰得です。
時間というのは人生、命そのものです。1年を無駄に消費することは、1年短く生きるという事です。
そして俺は命に価値を認めています。よって時間を無駄にすることが嫌いです。
エネルギーというのも時間と同じく、何かを為すために消耗されるものです。
エネルギーが少なければ、自分に出来ることは少なくなります。よって何かに(有意義な)時間をかけるのと同等に価値のあることだと考えられるでしょう。

合理性、これはしばしば効率化に繋がります。
合理的・論理的であることは、自分のおかれている状況を正確に把握する助けになり、すなわち本質をつかむことのできる習慣であります。
また、合理性がもたらす公平さ(平等さではない)は、多くの人にとって利益となり得るものであり、逆に非合理的であることはやがて憎しみを生み、最終的には全体、各人、どの視点から見ても損害のみが残されることでしょう。誰得です。
よって合理性というのも生きる上で非常に重要なことです。

で、何が言いたいかというと、以上の全てを与えてくれる数学や情報科学というのはつくづく最高の学問だね!という話でした。

最後に、学級内でも知る人ぞ知る、わずか3ヶ月で定着した名前「串カツ」の由来でも語ります。


串カツ

そもそも串カツとは何なのか?豚カツ以外のカツでも良いのか? そうならば何の肉を揚げたものならカツと呼べるのか?あるいはどのような肉がカツとなる? 例えば1cm3の肉を揚げたものに串を刺しただけでも串カツと呼べるのか? 肉の脂の部分だけを揚げたものはカツなのか? あるいは肉の味がする全く別の物質を揚げたものはカツとは呼べないのか?

それ以前に串とは何なのか?爪楊枝をカツに刺しても串カツなのか?木の枝をそのまま使っても串と呼べるのか? 木ではなく金属の針なら?あるいは材質など本質ではなく、シャーペンのような尖った棒ならば何でも串なのか? あるいは、高さより底面の半径の方が大きいような太い円柱を刺しても、それは串と呼べるのか? そうでないなら串とは何だ?そもそも串というものは存在せず、物体に刺してある何かこそが「串である」という属性を持つのだろうか? とすれば、カツに刺さっているあらゆる物体は串なのか? カツにプラレール®J-01 トンネルが貫通していても、それは串と呼べるのか? もしくはイヤリングや輪ゴムのような輪が貫通していても、それは串として認められるのか? それ以前に串は貫通している必要はあるのか?

……そう、私達は串カツの何も理解してなどいなかった。串カツがその真の姿を私達の前に現すのはいつになるのか、それは誰にもわからない。 しかし私は諦めない。串カツの定義を追求しつづけること、それが私のレゾンデートルなのである。(第一部・完)

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